『古事記』と壬申の乱 関裕二著
最近どうやら日本史ブームの長男から「これ面白いよ」とのことで勧められた一冊です。
日本古代史を知るに当たり、日本書紀と古事記は避けて通れぬ書物の訳ですが、どんな書物も書き手の主観や思想、主張が反映されたものとなります。つまり、真実っぽく書かれている内容も、どこか脚色や改変、故意の欠落を抱えているかもしれず、鵜呑みにはできないわけです。
もちろん、同時代に多数の書物や記録、考古資料などが残っておれば、多数の視点から真実を浮かび上がらせることも可能になってくるわけですが、飛鳥や奈良時代となると記録が如何せん少なくて、なかなか検証も難しい…その余白にこそ、ロマンがあるわけですね。
そうした余白を精一杯の想像力で埋めていくと、教科書では描かれない、普通の歴史研究者もなかなか言い出せないようなストーリーが浮かび上がるのではないか、というのがこの書のコンセプトかと思います。
一般的に壬申の乱は古代最大の戦乱であり、保元の乱、平治の乱までこれほど大規模な中央での戦禍は起こらないことを思うと、その後数百年の政権の有り様を決めた政変だったということになります。しかし、記紀の記録に従い、一般には皇位継承を巡った兄弟の確執を原因と理解されており、決着もあっさりとしたものです。これは、なにか著述者の何らかの意図を受けた結果なのではないか、というのが本書の切り口となります。
さらに、もう一つのピースとして、壬申の乱にて全く藤原氏が触れられていないことに着目します。天智天皇の側近中の側近であった藤原鎌足は壬申の乱前に亡くなっており、その子、藤原不比等が中央で活躍するようになるのは壬申の乱を終え、勝者である天武天皇が亡くなり、その妻、持統天皇が皇位を引き継いだ後です。まるで、壬申の乱の間は、都合よく藤原氏は世代交代の真っ最中で乱に関与することもなかったかのような様子ですが、近江朝廷での重鎮だったはずの鎌足の一族が壬申の乱に本当に全く無関係でいられたと考えて良いものか。
こうして、2つの違和感を解決するストーリーとして、大化の改新まで遡り、当時の外交情勢まで絡めて、天智天皇(中大兄皇子)と藤原鎌足が百済系、大海人皇子が新羅系という支持母体の対立が有り、外交路線を巡った内部対立こそが壬申の乱の背景ではないか、と読み解いていきます。なんともロマンのある話ですね。
推測に推測を重ねての推論であり、学術書としては読めない内容ですが、歴史小説家が書いた考察本ということで割引いて読むならば、古代史ロマンをかき立てられる本かと思います。荒い文体には好みの分かれるところとは思いますが、興味惹かれれば一気に読んでしまえる本でした。