足利将軍と御三家 谷口雄太著

室町幕府といえば、将軍権力が弱く、管領やら四職など有力守護大名の影響力が強い印象があります。別にその印象が変わるような内容ではなく、常識がひっくり返るような驚きのある本ではありません。ただ、一方で、室町幕府というものの性質や、江戸幕府へと影響を与えたかもしれない内容などを示してくれる良著でありました。

本書の中で興味深かった内容
  • 鎌倉時代の足利氏一門の動向
  • 斯波氏、畠山氏、細川氏、山名氏、今川氏などはどうやって歴史の表舞台に登場したのか
  • 足利氏一門によって形作られる室町幕府
  • 将軍家と御三家、一門の序列の構築
  • 徳川家と江戸幕府の構図に通ずる秩序体系

鎌倉幕府は最初、御家人の集合体として成立し、後に執権を独占した北条氏による権力強化と、他の有力御家人の排除が行われていくわけですが、室町幕府は最初から足利氏とその一門による体制構築がなされており、一門以外で中央政界に参加できたのは佐々木氏(京極・六角氏)や赤松氏など極少数でした。(もちろん、地方では大内氏や大友氏、島津氏、武田氏、小笠原氏等も勢力を維持していましたが。)南北朝期に、足利氏とその一門内部の抗争と南北朝の対立が絡み合った結果、観応の擾乱等が起こり、どうも足利将軍家の求心力は低く見られがちですが、一門以外から主要勢力は登場しなかったことを思えば、足利尊氏の時代で、すでに足利氏一門の天下は揺るぎないものになっていたと言えます。この辺りは、既に北条氏がその一門でもって全国各地を支配した構図が鎌倉時代に出来上がっており、足利氏は速やかにその後釜に座ることができたのやもしれません。

では、逆になぜ室町幕府成立直後に足利氏は一門内部で内紛状態に陥ってしまったのか。それをどうやって克服したのか。ここに本書のフォーカスが有ります。著者は鎌倉時代の足利氏一門の動向を遡り、彼らが必ずしも足利氏嫡流を主としてピラミッドを構築していたわけではなく、一門といえども「足利」を名乗り、本家の統制下には無く、ゆるやかな連合体として存在していたことを詳らかにしていきます。これが、本家のみが将軍家として卓越した権力を持つ構造を阻み、内紛の一因になっていくのです。

ようやく足利義満とその後継者の頃、「足利」は将軍家と鎌倉公方の独占物となり、幕府は安定化していきます。この中で一門の秩序も構築されていき、吉良氏、石橋氏、渋川氏が御三家として成立していくわけです。彼らは儀礼的な権威を持ち、一門ではありながらも政治の実権を持った三管領(斯波氏、畠山氏、細川氏)の上位に位置づけられる存在となりました。実力主義の戦国時代に入り、御三家の多くも歴史の中に埋没していくわけですが…辛うじて残った吉良家が、赤穂事件で歴史から消えていくのは歴史の非情を感じざるをえません…

とはいえ、こうした幕府と将軍家一門の構図や、「足利」の使用制限と将軍家のスペアとしての「御三家」、政治の実権を持つ一門の区分は、江戸幕府にも通ずるものがあります。家康がどの程度室町幕府を参考にしたのかわかりませんが、少なくとも彼らのブレーンに前政権の流れを組む者たちが多数参加していたことを思えば(それこそ吉良家のように)、何らか影響を受けたとしてもおかしくはないように思えます。江戸幕府と徳川家も、「徳川」の制限と御三家、親藩の区分、全国各地への一門の配置等、何やら室町幕府に近しい構図を感じてしまいますね。

ただ、足利氏と徳川氏に異なる点があるとすれば、徳川氏は権力を持った時点で、圧倒的に一門衆が不足していた、という点でしょう。多数の分家を持ち、既に一門が各地に展開していた足利氏に比べ、徳川氏は三河時代にも一門と呼べるほどの親族がおらず、松平一党に統一感もなく、実質的に家康ひとりから御三家、一門を作り出すしかありませんでした。家康の子沢山も、こうした意識もあってのことかもしれません。お陰で、幕府草創期に一門内の内紛がほとんど無く、内輪もめの少ない船出になったのは不幸中の幸いなのか、それとも家康の策であったのか…ただ、滑り出しから騒乱続きの室町幕府に対し、江戸の天下泰平が強く意識される結果になったのは間違いありません。

鎌倉、室町、江戸を3つの幕府の中間に位置する室町幕府。北条氏の強権ぶりや徳川氏の安定ぶりが目立つ中で、パッとしない印象の足利氏ですが、実は大事な歴史の階段を進めていたのかもしれないな、と思わせてくれる一冊でした。