なぜ働いていると本が読めなくなるのか 三宅 香帆 著

タイトル買いしてしまった本です。思わず「そう、そうなんよ!!」と思ってしまい、手にしてしまいました。そして、それがこの本の全てかもしれません…

  • タイトルへの共感が全て
  • 本を読めなくなってしまった読者へ筆者はとても共感してくれる
  • でも「なぜ」にはちゃんと答えてくれない
  • どうしたら読めるようになるかも教えてくれない
  • 論説文ではなくエッセイぐらいの気持ちで読むと程良い

明治以降の日本社会に「本」というものが流入してから、日本人と読書の付き合い方が社会論として色々と語られていきます。意外と「好きな本を読む」という習慣は読書のメジャーではなかったんだなぁ、というのは面白い視点でした。ただ、今「読みたいのに読めない!」と思っている人は「好きな本を読みたい」人たちだと思います。昔から売れる書籍がハウツー本だったろうが、ビジネス本であろうが、啓蒙書であろうが、そんなことはどうでも良いのです。義務から読むのではなく、ステータスのために読むのでもなく、私の心が跳ねるものを読みたい。図書館で、本屋さんで、背表紙に囲まれているときの空気。それが好きな人達にとって、明日の成功のために読むなんてものは邪道でしかありません。そして、おそらく筆者も本質的にはそういう人種の方なのです。ですから、実は昔から日本社会に「好きな本を読む余裕がない」ことに嘆き、読者としても筆者とともに嘆くしかないのです。全てを社会のせいにして。

では、どうしたら本を読めるようになるのか。社会が変わってくれれば一番ですが、効率を益々重んじる現代社会にそんな余裕は無いでしょう。というわけで、読書したい人は社会から距離を置くしか無い、ということになります。

筆者は適度な距離感を幸い達成できたようですが、読者のひとりひとりにとっては難しい道でしょう。FIRE「Financial Independence, Retire Early」とまでは言いませんが、「Finance Independence」は達成しなければ、社会に対して自己の主導権を主張することさえできません。(主張しただけで主導権をとれるかどうかはまだわかりませんが…)そして、その「FI」が大変難しいわけです。

私も「好きな本をたくさんたくさん読みたい。毎日本屋さんと図書館に居たい」人種です。「FI」はそろそろ達成しつつあるように思ってはいますが、社会との断絶を願っているわけでもありません。程良い距離感を探りつつ、いつか自信をもって「FI」宣言を出来るよう、日々努力していきたいと思います。

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